二百十日の厄日を無事に過ごし、豊年を喜ぶ

300年以上続く伝統

 祭の起源は不明ですが、300年以上昔から行われていると伝えられています。この祭りは、二百十日の厄日を無事に過ごし、豊作を喜び感謝する意味を込めて行われる祭で、市場町として発展した町名を祝う商人たちの行事から自然に生まれたとも考えられています。古来より、台風が来襲するこの時期は、重要な農作物である米の収穫時期と重なり、台風が来る日の予測は非常に重要でした。また、漁師にとっても海上で嵐に遭遇することは生死に関わるため、台風が来る日を事前に知ることは大変重要でした。こうした背景から「嵐の来る日」として伝えられてきたのが「二百十日・二十日」です。
 二百十日・二十日が最初に官歴に掲載されたのは貞享暦(1684年)ですが、それ以前に出されていた伊勢暦(民間の暦・1656年)に既に記載されていたという伝えもあり、実用性を考えてこれを暦の雑節として取り入れたものと考えられています。 二百十日とは立春から数えて210日目ということから名付けられたもので、二百二十日は220日目にあたります。現在の暦であれば二百十日はおおむね9月1日頃、二百二十日は9月11日頃に当たります(立春が2月4日の場合)。